過敏症/化学物質過敏症(CS)の私。姉夫婦と晩御飯を食べに出ました。食事と一緒にワインも頂きました。 10時半頃お店を出て そこから 7~8m の処で意識が無くなり、顔からバサッと倒れました(50代女性)。

この体験談は、2017年5月5日『とらのこコングレス』にて本人が発表した内容を整理・編集したものです。体験談(テキスト)の下に、「タイムライン:画像資料」もあります。あわせてお読みください。

体験談

今回は、怪我で鼻が折れたと言う急性症状についての体験をお話させて頂きます。

姉夫婦と晩御飯を食べに出ました。食事と一緒にワインも頂きました。10時半頃お店を出てそこから7~8mの処で意識が無くなり、顔からバサッと倒れました。この10日前にも意識が無くなるという事がありました。喫煙者との会話中、椅子に座っていたので怪我は有りませんでしたが、メモをとっているシャーペンを落としていました。化学物質過敏症(CS)の私は、タバコとワインで傾眠(けいみん)という状態に陥ったようでした。傾眠とは意識が消失していく睡眠に似た状態です。

顔から倒れた為、鼻から大出血。30センチ程の血溜りができました。頭を打っているかもしれないのと救急車を呼んで下さいました。意識は途切れ途切れで、頭を少しもたげた時、鼻血のポタポタが点滴よりも早いなぁと思いました。

救急車が来るまでの間に、姉はカバンに持っていたレメディーを口へ入れてくれました。Acon.(アコナイト)、Arn.(アーニカ)、Rhus-t.(ラストックス)、Ruta.(ルータ)です。Calen.(カレンデュラ)が無い!!と思ったそうです。病院に運ばれレントゲンやMRの結果が出るまでの間も、姉は持っていたレメディーを又、残り全部を7~8粒入れてくれました。

化学物質過敏症が有るので病院でできる処置は傷口を洗い流す程度でした。病院側から「内出血で顔は紫色になりますよ、その紫色がずってきますから」と言われました。顔やヒザの打撲と、鼻の骨折、メガネのレンズで顔が数ヵ所切れていました。塗り薬、貼り薬、痛み止めを出しますと言われましたが全て「要りません」と断りました。

家に帰って横になり、36種類のレメディーキットと本を見ながら、これは!と思うレメディーを口にしました。『ホメオパシーinJapan』にある「骨折」からArn.(アーニカ)、Bry.(ブライオニア)、Calc.(カルカーブ)、Ruta.(ルータ)、Hyper.(ハイペリカム)、Mag-p.(マグフォス)。実用ホメオパシー』の黄緑の本の「骨折」からCalc-p.(カルクフォス)、Symph.(シンファイタム)。これらをランダムに取りました。レパートリのページはとても参考になりました。

傷口にはカレンデュラ(Calen.)クリーム。打撲の箇所にはラストックス(Rhus-t.)の入ったクリームを塗りました。左ヒザは怪我の翌日からかなり痛くて曲げる事ができませんでした。階段も1段1段です。

朝、2階から降りるのはとても痛くて全く曲がらず、階下の部屋でラストックス(Rhus-t.)の入ったクリームを塗ると数分で階段を昇れました。
「なんで塗ったら痛ないの?」と毎回、とても不思議でした。左膝の痛みはラストックス(Rhus-t.)の入ったクリームで乗り切りました。

翌日の顔面は腫れあがり37.5度の熱が出ました。本を見て、熱にはBell.(ベラドーナ)やFerr-p.(ファーランフォス)で対応しました。熱は1日だけで済みました。腫れた顔も、日に日にひいていきました。途中から基本的なキットの36粒を全部水に溶かしたスペシャルを作り、心のダメージにも…と本からレメディーを色々口にしました。結局顔は紫色になりませんでした。

12月2日に顔のおおきなかさぶたが取れ、12月3日、怪我から姉と初めて会いました。「10日でこの仕上がりはスゴいな」と写真を撮ってくれました。鼻の骨折は手術を免れました。全身麻酔を回避できたのは、化学物質過敏症(CS)にとってラッキーでした。

この怪我は救急病院で処置をして貰っただけで、その後、治療として何処も通院していません。化学物質過敏症(CS)が有るので通院しなくて済んだ事も大変有り難かったです。

顔の傷はずいぶん小さくなりました。お風呂あがりに今でも顔にカレンデュラ(Calen.)クリームを塗っています。まだ傷跡が小さくなり続けているのを実感しています。ホメオパシーのレメディーと本とクリームで、このようなびっくりする怪我にちゃんと対応できました。姉が側に居たこと姉が素早くArn.(アーニカ)等レメディーを口に入れてくれたことが後々の回復にこんなにも繋がっていたんだと大感謝です。

私達姉妹がこのようにホメオパシーを使いこなせたのは、化学物質過敏症でおこる沢山の症状と、一般の様々な症状に日々ホメオパシーを使ってきたからでしょう。全ての出来事に感謝です。ありがとうございました。

タイムライン:画像資料

50代女性・京都